競いあうことより、認め合うこと。

どこの組織でも、お互いに競い合い、日々試行錯誤しながら生きているのが現代なんでしょう。
仕事柄、保険会社の人と、交渉することが多い毎日ですが、
先日は、もう二度とこの人とは、話たくないと思う人に出会いました。
久々のヒットといえる人物。
《私もまだまだ人間ができていないのかも・・》

事故は、この一瞬にも起っているわけで、多くの案件を抱え、
ストレスも多くかかえている担当者もかなりいると聞きます。
そのストレスを、うちに来て発散したか?
もし、そうであれば、とんでもないことですけど、まああの方は、きっと日ごろからあんな風なんだろう。

加害者には加害者の言い分があり、被害者にも当然言い分があります。
修理内容を打ち合わせするため、最近のことですから、
メールで写真を送って電話で打ち合わせをしたり、
大きい事故になると、立会いにきて打ち合わせをしたり、いろいろですが、
お互いに、お客様の意向を重視しながら、なるべく添うように
でも、むずかしいものはむずかしいなりに、お互いに話し合いながら
修理に入っていくわけです。
保険会社は、損害を支払う責任があるわけですから、なんでもかんでもいいと言えないというのも
わかります。
修理が完了しても、示談の段階になると、いろいろ問題も多く、むずかしい部分もあると聞きますし。

でも、全て、お互いの話しを聞き合うということから始まるわけで。
先日の方は、いきなり、そう!機関銃の如く、“ダメなものはダメですから・・・認められません“
と自分の言いたいことを言って、さっさと帰っていきました。
何を言おうにも、全くとりあわず、その経過を聞いたお客様は当然、憤慨・・・
《明日、話し合いをするそうですけど・・》

私は、どうしてなんだろう?と思いました。

ちょっとした言葉の使い方で、こんなにこじれることもなかったのではないかと思ったり・・
担当者の言い分もわからないでもないけれど、こちらの話しなど、聞く耳もたずというようなあの話しっぷり。
全てを認めてと思っているのではなく、もっと“聞く“という気持ちを持ってくれたらと
残念でならない。

意志の疎通があれば、お互いの立場を認めようというわずかな歩み寄りがあれば、
気持ちの良い示談もできたものを・・・
結局、修理でお預かりしても、手がつかず、ずっと保留状態。
その間、レンタカー出っ放し。
その負担の方が大きいと思うけど・・・

お互いの主張を最大限に活かしつつ、認め合う努力をすることが、
早期解決につながり、心を痛めることもないのでは?
と思う、今日この頃です。